椅子の背にかけた上着

http://d.hatena.ne.jp/denkimusi/ より移行

プルームテック2

タバコが変わってから、すごいストレスだったなと思っていたのが、においと灰でした。

ニオイはずっと苦労してきた。どうやっても付くので年中窓を開けっ放しだったんですが、それもしなくてよくなった。家に帰ってきて臭くないというのが嬉しいです。

そして気付かなかったストレスだったのが、灰。プルームテックはいつでもその辺に置いとけます。一口吸って置いていても減りませんし、灰が出ることもない。吸い殻に準ずるゴミは出ますが、量はごくわずかで、灰皿の中身を捨てて洗うということが無くなったのがとても楽です。

ただ自分は喉にずっと痰がからむ後鼻漏の症状を抱えているので、蒸気がそれに加担してる感じがあります。後鼻漏、これが2年ぐらい治らないんだ。鼻水出なければいいかと鼻水どめの薬を飲んでるんだけど、治まりにくいです。これのせいで歯医者に行けないんですけど、そろそろ本気出して耳鼻科別のとこ行くべきかなと思う。

それはともかく、元々食後の一服が要らない人でして、外出時は吸わないで家で吸う人だったんですね。許されてる場所では吸ってたけど、タバコを吸う人が周りにいないので、出かけると必然的に外で吸わないことになります。が、プルームテックになってからは、食後にあの一服がしたいなあと感じる。朝目覚めての一本も欲しいなあと感じる。おそらくニコチン量が相当少ないんでしょう。

逆に考えたらこれに満足できるようになれば、ほぼ禁煙に移行できると思えるものです。タバコの代用になるかっていうと、満足度は少ないと思います。だからニコチンリキッドを買ってしまいましたw 美味しいですw
もうちょっと濃い目でもいいかなと思って、今度買う時は違うもの買おうかな。このまま電子タバコに行きそうな感じですね。

ニコチンはやはりヤクだと思ってます。ニコチンリキッドを他人に譲渡したり吸わせたりすると違法だそうで。個人利用はどうも良いみたいで。ややこしいですね。

これらバッテリーを使うタバコは増えてきてますが、私は昔、タバコの不始末の火災に巻き込まれて引っ越すことになったので、火を使っていないタバコがメジャーになって欲しいです。

ぷるーむてっく

タバコ変えてみたんですが、入手難に陥ってるプルームテックようやく買えて、試してる最中です。ヤニにはずっと悩まされてるんで、でもヤニの効果ってちょっと口唇の病気に影響してて、うちは禁煙した時、口内炎にすごく悩まされました。

まあニコチン依存って抜けにくいのか、うちは禁煙途中で心療内科通うようになってしまい、また吸いだした始末。あれはほんと病んだなあって思いました。ヤク中がね、辞めるの大変ってめっちゃわかる。ずっと隔離して三食と睡眠の管理されないと無理だなって思う。信頼できる人の下で…パートナーが必要だと思う。

ニコチンって本当にドラッグの域だと思うんです。合法ドラッグです。

辞めたいなあと思いつつ数ヶ月でもう無理…ってなったんですが、なんで禁煙の話になるかってプルームテック吸った時に禁煙開始時の感触と似てて、でもヤニが出ないのはほんと助かるし、肺の病にもなりにくいし、自分でも臭かったからね。鼻の通りはすごく良いんですよ。それでも辞めるまで下の階の人がベランダで吸ってたのに気付かなかった。

アイコスが有名ですが、すごい臭いらしくて、見た感じも扱いも手を出しにくかった。プルームテックはすっきりしてて目を引くのと、あと扱いがシンプルで効率よく、吸ってる途中いつでも置いておける。匂いについて特に評判が良かったので、銘柄からも注目してたんですが、本当こっちの方が楽だろうと思いました。

まだ昨日届いたばかりだけど、禁煙時のヤニ切れの感じはないです。こっちに移行できたら良いですね。それでも外では吸えないけどね。この類の加熱式タバコは、一応タバコ扱いなので匂いや煙を散らさないとしても禁煙席へは行けません。

しかし面白いおもちゃ感が楽しい。

自分の小説について

端的に妄想を書き連ね、読み物の筋を仕立てあげようというよりは、一人称で対峙する相手の動きやセリフ次第で話の筋が変わってしまうものを書いている。つまり一人でエチュードをやっているようなもので、いわば一人でLINEの会話を続けるようなことに近く、それに少し行動や背景などが付いていて、会話が進めばいつのまにやら何か解決していたり、状況が変わっていたりする。

これが非常に面白くて、自分でも突発性を楽しんでいる。はて、このニュアンスやフレーズはどこから出てきたんだと、己を探ることになる。もしくは原作を読みなおして、そうかここからああなったかもしれないと、無意識下に刻まれているセリフなどを発見する。

書いている時にはその根拠は浮かんでいない。自然と出てくるキャラクターの印象だけで、短編が成立したりする。よしここらで落ちだろうと区切る。その時に頭から読んでみては、こういう話を書いたのかと驚くこともある。

いちどきに書きつけるので、文のリズムがあり、重ねて使っている表現も少ない。たまに接続詞に癖があるぐらいで、そこを少し書き換えて整える。一気に書いてしまうほうが後の苦労が少ない。すらすらと出てくる言葉を紡いでいるだけの方が、読む方も一気なのだと知った。

このような書き方をしていると、次はどうなるのと自分でも面白く、しかも結末が分かっていないので変にオチが匂うこともなく、とてもやりやすい。

以前はこれをとても変な書き方だと感じていたが、すっかりこの書き方になってしまった。決めないで書くほうが楽しいし面白い。


ところで、最近見かけた生々しい愚痴に“書き手に好まれるのが誇らしいと自分では思っていたが、文章に足りないところを想像で補ってくれるからこそ分かってもらえていたのだと気付いて落ち込んでいる”というのがあった。それは常々私も思っていた。私は端的に出すことで、余白を多くして、原作を知ってるからこそ上手に補完できる方が好んでくださる。つまり原作をすごく好きな方が好んでくださると、むしろそこに仲間を感じて喜ぶべきことだと思っていた。

まさかそれが不足であると落ち込む要素になるとは、思いもしなかった。仲間用で良いじゃないか。私は文章を褒められたって大して嬉しいと思わない。むしろ、原作を好きな人があのキャラらしくて好きだという方がよっぽど嬉しい。同じ好み方をしている仲間が読んでくれている。素晴らしい。

私はあえて読者の想像に任せて省くものが必ずある。服装の説明は不要だ。どこにどういう姿勢でいるかも不要だ。そのマイムで感情を見せる時は必要だ。季節と風景は必要だ。吸い込んだ空気が冷たいかどうかも、場合によっては必要だ。そうして描写しない部分があるのは、心情描写の方が多くキャラクターを魅せたいからで、私のストーリーを見せたいからではない。素敵な筆致を見せたいからでもなく、文章を上手いと思われたいからではない。二次創作なのだから、キャラクターを魅せたい。

だから件の愚痴は、なかなか面白いと思った。おそらくこの人は自分が上手いと思いたかったのだろう。そうではなかったので落ち込んだ。
足りないのではなく余白であり、その余白を共有できる仲間に恵まれていると思えればいいのにと思った。


上手くなりたいと思うことはある。この妄想はもっと上手に書いて分かりやすく伝えたい、という時に。絵で言えば、シリアスなテーマの構図が浮かんでいたとして、もっと上手にならないとテーマに迫って描けない、というようなことと似てる。褒められたいや上手いと思われたいでは、具体性がないので上達がしにくいだろう。目的を持ってほしいとも思った一件。

同人活動できてる

二次創作で小説を書いている。絵にかける体力集中力がもたないからだ。軽くわかりやすく書いている。それがもう少しで二年。作ったお話は短い妄想も合わせて100本を超えている。似た話もたくさんあるけど、自分にとっては全部違う話。ある程度、代表作になるものも出てきた。

今は印刷所が色々あって、まだ詳しくはわからないけど、文庫本を初めて作った。初めての小説本を作った。すごい。年取っても、まだ新しいことがいくらでもできる。そして明日また新刊が届く。私はこれぐらいでも小説として書けてるって、だいぶ下の方で物を考えてる。気楽じゃないとできない。良い文章を練ったって、読みにくければ読んでもらえない。分かりやすい言葉がいい。表現を、演出を練るってのは、誰にもわかるようにすること。

日記をずっと書いてきてよかった。多少は練習になってたし、表現のひとつとして手にできた。それも娯楽本でも小説をそれなりにたくさん読んでたから、逆にこれぐらいでいいんだってわかるし、良文が小説ってわけじゃないってわかるから書ける。

漫画を描くほどの体力はない。無理したらまた悪化するって分かるから温存してる。でも、私にはもう一つ表現方法がある。本当によかった。何も出せずに苦しい思いをすることがない。ツボにハマる人はハマるらしい。たくさん励ましをもらってる。いや、一部の人なのは分かってる。でも伝えてくれる人が少なくとも両手分はいる。すごい。

本当によかった。

視力

老眼入ってきたかなあとちょっと小さい字が見えにくいことはあって、集中がしづらく本を読むのが疲れる。更に先日の健診で視力落ちてた。今まで1.5あったのが急激に落ちたから、照明を替えようと思う。

響を読んでる3終

今出ている分、6巻まで読みました。
煩わしい部分のためカットしたのか、作家の顔を見てすぐに○○さんだと皆が分かるような点には違和感があり、読書家が皆作家自身に興味を持っているわけではないことは無視されてますが、純文学という土壌ならそうなのでしょうか? 私自身は作家の顔はむしろ知りたくない方で避けます。

で、6巻までどうだったというと、
感触としては、作中劇にはほとんど触れず、創作論などもなく、ただ書きたいから書くんだみたいな衝動が良しとされている程度で、他の小説家が働きながらようやっと暮らしているとか、人間ドラマの部分が中心です。それも賞候補たちがばばっと出てくると、急に出てきたので馴染むこともなく過ぎてってしまう。通り過ぎたものとして忘れてもいいのかしらと、特に注視はしなかったものの、新入生がばあっと出てきて、ちょっと人数が多すぎる……!と混乱し始めたところで、6巻は終わってます。

場面を行きつ戻りつして見せる手法を多く使っていて、流れるものを見たい人は一見混乱するかもしれないけど、分かりやすくシーンを縮めてるんだなと思うと、この手法あまり漫画で見ないので、テーマが小説家を扱ってるがために、小説っぽいといえばそう見えるかも…?という面白さがありました。

とにかくですね、これは小説がどうたらの漫画ではないと言いたい。筋を通して生きている人が小説を書いていると思ったほうがよく、何に一番カテゴライズできるかというと、ヤンキー漫画です!!これは私が好きなタイプのヤンキー漫画です!笑

やあ、響さんという文学少女、他人とは少し違った感性だと最初は他人の気持ちなどが分からないタイプか?と、アスペルガーなどという単語が頭によぎりましたが、どんどん読み進めるとこれはかっちりと主義を持った人間で、作品は“人生の正解を教えられた”などと言われるものを書いた。それの感想を人から聞いて、よかった間違っていなかったと安心した。確かに、その思いは、幼なじみの男が言うとおり普通の女の子だと思える。

人によっては奇抜すぎると思うかもしれない。でもこれは、実はヤンキー漫画なんですよって言えば、ああーと納得すると思います。

6巻で特に好きなセリフ。踏切の場面で響が書いている理由を話しています。

「別に誰かのために書いてるわけじゃないし、自分のためでもない。ただ書きたくて仕方ないから書いてるだけだけど。」
「でも誰かが私の小説を読んで面白いって思ってくれたら嬉しいし、たぶんその小説はその人のために書かれたものだと思ってる。」
「人が面白いと思った小説に、作者の分際で何ケチつけてんのよ。」

もう、強く共感したので、本当に嬉しかったです。この調子で言うならば、このセリフは私のために書かれたのですw
嬉しかった。

響を読んでる2

3巻途中、「生まれ変わりがあるのなら――――――」
殺し文句だろうこれえ、涙出た。そして「不束者ですが」と返したの。今、お嫁さんになれていなくても、この人生では無理って言ってる人が、来世の約束をしたとか、最高じゃないですか……! 嗚咽混じりですわこっちがww

私自身は結婚を望みもしないし、誰かと一緒じゃなきゃいけないこともなくて、それでもこの作家が望んだけど諦めたものが作品として人を動かして循環して、いいのよ満足してるなんてことにしていたって、いつかの夢はたまに心をぎゅっと絞るのだろうってことぐらいはわかる。それに対して響は、約束をしても良いと思えた。というか約束したいと意思表示をした。「不束者ですが」この人がずっと言えることがないだろうって思っていた言葉を、口にできたんだ!

響を読んでる

ネタバレありつつ。

二巻途中、モノローグでゾクッと来た。

例えば自分は一瞬もしかして漫画家できるんじゃね?ぐらいで、広告漫画や軽いデジアシ程度をやってた。特に本気でなるつもりはないし、描けるってたかが知れてる。商業ベースなんか無理無理だし、できることしかしない。ただし、漫画ってこう描くんだってコマ運びをたまにじいっと見るので読むのがとても遅い時もあった。それはただ漫画が好きなだけだから、勉強をして漫画家になろうなんてことは考えなかった。描き方を自分で考えるために知ろうとしていた。

大学に少女漫画家がいた。締め切り直前でも学校来なきゃいけないから原稿持ってきててさwトーン手伝いならできるよって、三人ぐらい学校にアシがいたw 原稿を見ると普通の少女漫画で、可愛く描きたいとこがはっきりわかるメリハリあるけど、少し気弱げ。ああ、少女だなあって思う。でも、そこ点描のトーン貼ってここらへんで削って、っていう指定は、どの原稿も同じことだった。

後に広告会社で漫画を描いてた時も、他の人のデジアシの時も、同じことだった。ああ、うちデジアシの手もあるなって、作業が好きだったので、その頃は作業のために効率化させることを勉強するのが好きだった。ちょうど同人サークル活動が忙しさのピークを越えてゆるやかになり、バンドの解散と共にもう別にやることないよねってやめた。その少し前からエロゲ原画の話が舞い込み、別になりたかないけど成人向けはよく読んでたから抵抗はなく、選考では落ちたけど会社スタッフになった。

漫画絵に関わる仕事は、漫画家以外にいっぱいあった。エロゲは自分ではやったことがないし興味がなかった。クリックして読むのはテンポが合わず、選択肢をくれても、どうでもよかった。お話を自分の手でどうにかしたい欲はなかったので、ひとつ小説を読ませてくれたら十分だと思って、今もそんなに興味がない。

なんというか、漫画に関わってきて悔しい思いなどをした経験がない。そういう人がどれだけいるかはわからないが、同人活動は楽しいばかり。嫉妬は多少あっても、自分の力を知っているので自信もあれば諦念もある。個人の作品なのだから、私はその人じゃないしその人になりたいわけじゃない。だから劣ってることも、まだ伸びることができる誇りのうちと思っていた。

今のところ『響』はまだ二巻の途中である。己が高校で文芸部を立ち上げた経緯があるのと、今、自分が落ち着いて集中して本にのめり込めることもできなくなっているのに小説を書いているから、すごく興味深い。

ここまでは単に私のバックボーンだ。

そこで二巻の、小説家が、編集部に電話をかけたあとのモノローグだ。場面とは関連せずに彼女の一生が淡々と書かれていくそこは、小説だった。と思った。つまり、彼女の人生は小説だったのだ。

体調とか

一つ情報を拾って、鉄欠乏性貧血だと自律神経失調症になるだかなりやすいだかで、おおよそ今の不調の原因が自律神経ゆえんと思ってるので縋りたい思い。の前に血液検査してもらわないと。これで鉄剤のんで数日で回復したとの情報が、あまりに今の状態からは蜘蛛の糸なので、検査、どう言おう。いや適当に言えばいいや。


ずっと安定剤を頓服にしてて、その他は対症療法なんで進展がなく、わりと元気に体力ある方なのに外に出られないで弱っていくこの、特にここ一年が私はちょっと怖くて、治るのはいつだろういつだろうって。合間に不治の病の人の話も聞くけど、それ私に言われても私とその人は違うんだよ困っていることが。

何かを諭そうとするならばまずきちんと否定をすべき。


以前揉めた人、ちゃんと宣言通りイベントに向けて活動できてるかなと少々心配して覗いてみたら、まあゲームレビューなどは描いていた。しかし、私と関連する物を描けない思い出すと愚痴を吐き、あげくに「人格否定はしちゃいかんよ」と。
いえ、こちらからすれば積もりに積もったあなたの不道徳な発言、行いを総合して、「あなたとはもうあまり話したくない」と結論を言うのに説明をつけるなら、あなたが他人にとても失礼で少なくともあなたは私の知ってる限りで三人に「私に対して失礼だ」と怒ったことがある。それは自分が律してる礼儀通りではないということで怒り、だがあなたの礼儀というのは少しおかしい。それは社交辞令ではあるまいか、と思う事柄が彼女の礼儀。しきたりのようなものにうるさいわりには、ルールを知らない。

ルールを知らない者が、「私の感情を害したのであなたが悪い」という理屈で責める。

人格否定とな。私が徹底して伝えていたのは、読者が何を求めてイベントに来るのか、読者は何を見ているか、そしてあなたは作家様ではないということ。
親しい人物への対抗心や、自分のほうが優位だと他人を持ち物にするところや、共通の知人のプライバシーを聞かされることや陰口や、あなたは礼儀正しくないですということ。
そして失礼だと怒って暴言を叩きつけるのはもうこれで終わりにしてあげてほしいということ。


私はちっとも傷付かなかった。馬鹿に付き合った反省はしてる。まさかそこまでと思わなかったので。

しかしこれをどれだけ吐き出しても、いつまでも馬鹿にしたいのはなんでだろう。それが嫌だ。
ああ、刺激がほしい。