椅子の背にかけた上着

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お見舞いのあと

30年ぐらいの付き合いだった友人が亡くなりました。
途中何度か付き合ってくれと言われ、どうするか悩んだものの、付き合うことで関係が変わることが相手から見えたので気が進まなかった。結局お互いの経済事情がひどくて同居するなどもなく、体調も二人とも悪い。共倒れしか見えないし生活を支えたい気持ちは全く無かった。結婚するという形はこの関係に全然似合わないなと思いました。


長く付き合って何でも話せる相手であり、バカな話をたくさんして、お互いの趣味の話なども。だらだらと続いた関係で、多少の不満はありました。私の話をあんまり聞かないで、自分のしたい話ばかりする傾向が強くなっていったので、年を取ったなwと思ってた。


体調をよく崩していて、酒に飲まれている人でした。
毎日大量に飲みます。ただ手が震えたりしないので、余計に内臓がやられていってることに深刻になれなかったんでしょう。
胃が痛いとよく言ってました。


飲み続けてもがんにならない人はいるようです。
でも彼はなりました。原因は酒だろう。としか思えない。詳細は聞いてません。何が悪かったなんて後で分かったって、本人になんの進展ある話にならないし。


こんなに長い付き合いの、家族よりもたくさん喋ったであろう友人が亡くなるとどうなるだろうって思ったけど、たくさん喋ったというのはどうも良いことのようです。ちっとも悲しくなかったのです。
ただ少し、寂しいですね。

お見舞い

あと一ヶ月もたないとのこと。三十年付き合った親友だけど、一週間ほど前の笑顔の自撮りが最後かもしれない。

今寝てる。意識などははっきりしてると聞いてきたが、タイミング悪かったようで、起きるのを少しの間待っている。

明日出直しても良いのだけど、明日生きているかはわからない。

老化で困難になってきたこと

昔から年取ってからどうなるかを、わりと誰も口にしないというか、大雑把に気休めというか、病気で困っててもどう困ってるかを伝えにくいとか、事情色々あるのは分かるけど、私もなってからしか分からないから体調に関しては気を回すことはできず、本人に直接どうしたほうがいいって答えてもらうことにしてました。


それはある人には正解だし、ある人には失礼であるってことでもあり、ぶっちゃけ下の病気だろうが職場ではガンガンにこういう不都合あってこうしてるけど気にしないでくださいって、私は言ってる方です。サボっているという誤解が出てくるのが嫌なので。


前置きはともかく、こんなに集中力が大事なことだと思ってませんでした。途切れ途切れにあれこれやっては何にも進まずまた後退しなければ分からなくなる、ってことになっています。


実生活上は困らないんだけど、読むことってこんなに無理なことだったんだとか、それからドキュメンタリ見ててADHD関連のが多かったんですが、集中力がない障害を持つ、学習障害でもそう、その人達がどう困ってるかを語る内容が分かるんです。明朝体は情報量が多くて読みにくく、頭に入れるのに力を使う。ゴシック体だと大丈夫、って、分かってしまった。


確かに明朝体は、ハネハライで細く閉じ、横線に山があり、太い細いが混在して美しいのだけど情報量が多い。内容と無関係な部分で邪魔してくる。


私もそういうレベルで困難が出ました。読めないってほどではないけど、少し力がいる。今まで何にも障害じゃなかった部分が、邪魔してくるようになって、読むのは楽しいはずなのにしんどいってことになってしまった。


老眼なんかは想像つきやすいとは思います。メガネで酷使すると疲れることを知ってる人は多いと思います。同じように、集中で酷使しないといけない。
更に掲示板やツイッターなど、短文コメントの中で長いこと日常的に過ごしたから、余計に不慣れになったんでしょう。あとファンタジーよりノンフィクションを好むようになったのは何だろう?っては思ってますが、年を取るって面白いものだと思います。


読めないって分かってきた時に、できるだけ時間区切ってやるとか工夫が必要かもって思いました。継続努力に対しては怠惰なので、問題がどんどん積もってしまったけど、片付けていくことはできるはずなので、ひとつずつ片付けていこうその元気のために立て直そうっていうか。


おとなになるともっと聡明になれる、積み重ねていくからって思ってたけど、年をとって変わるメンタルと機能を知って、そりゃあ昔の王様とかは不老不死を望むはずだわ…って実感できてしまった。


体の不都合じゃない、色んなことができなくなるものだったんですね。知らなかった。
なんか、実感のことは書いておきたかった。

連載止まってる小説の続きを書こうとしている日

まだ書けるかどうかの自信はないけど、とりあえず頭の中にある分のひとつ、最後まで流れを脳内で追って、あらすじを書き出してるところなんですが、あらすじでなく心情をすべて書き出して確定していってるので、全然進まなくて集中が切れたところです。

脳内では数時間で、流れを思い出しながらもう少し出来事を順に並べて、同時に心情的にはこうで設定的にはこうでと注釈をつけていってる。一応話としてのラベリングはできてるから、忘れることはないと思うんだけど、数時間で高速で思い描いたストーリーは、出力するのにどれだけ時間がかかるものかというと、今ぶっ通しで6時間かけてもメモが終わらない。

ついでに二次創作でモブがたくさん出てくるものだから、私は何を書いているのか、何なのか、内容はエロだらけだし、しかしこの性的な問題を解決するためには多くの濡れ場の中で気付きを得ていくしかなくて、正直

なんでこんな設定したのおお!??
と、思えてきています。

同人誌

本を作ってました。
文庫本が二冊、A5のペラいのが一冊。
これで一旦本作りは置いとこう。中身を作るのと全然違う作業なので、こればかりしてると中身ができてこないんです。


文庫本が作れたのは本当に嬉しかった。自分でも読みやすくできることとか、カバー付きの、紙の薄さなど徹底的に探した。本当に良い文庫本ができて嬉しい。それは本当に嬉しいと思ってる。


昔とは、自分の作り方が完全に変わってしまった。
漫画のころはイベント取って逆算で〆切設定して、日割りして、漫画描いた。
小説を始めた頃は、本にしないでサイトでずっと出してた。その後ぐらいにpixivが流行ってきた。


今は、とりあえず活動は小説。たくさん書いた。人生で一番書いたし、まだ書く。ちょっと本作りから頭を離して、そのこと自体だけをする生活をしたい。一応バイトしてる。それ以外を書くことだけで埋めたい。延々と。思いついたことからぶわっと。私の手から自由に紡ぐ快感。これを知ってしまうと、書くことから離れられない。楽しい。


私は書いてないのを本作りのせいにしてますが、並行してやってると気が散漫になるんで、ほんとに書けない。集中して書き上げたい。あの集中の世界で快楽に埋もれていたい。それが一番楽しいこと。それを本にして売るのは別のこと。だって、読んでもらうだけならpixivで十分なんです。内容さえ分かればいい。それを好きだとか嫌いだとか、読んだ人が思ったらいい。そう思ってる。評価なんかいい。少しずつ本のグレードアップして、集金したお金を増やしてってもっと本を作って、っていうことは、……正直疲れる。そういう算段ができないってわけじゃないけど、私は読んでもらえる環境があって無理なく活動できるのだから、それで十分って思う。


読んでもらえたらいいなあと投稿することが、ちょっと楽しい。
でも本当に楽しいのは、お話をどんどんと手から書き出していくあの時間。大好きだ。

たばこ

それでも私は、炎を吸うというタバコというものが好きで、ヤニの実害や呼吸器に問題がなければ、いつまでも煙の幻想に酔っていたかった。

炎を吸う儀式めいたところ、煙の行く先、ぼうっと光の中のそれを眺めている時間。

タバコにはロマンがある。
しかし、都合はそうも言ってられない。

これからは、小説の中にその夢を込めましょうか。物語には憧れも。