椅子の背にかけた上着

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絶歌1

936 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2015/06/15(月) 11:25:54.02 id:nQg2/cnG0
俺が遺族だったら、こいつが普通の人のように四季を感じて生活してると思うだけでやりきれない
死んでくれということだ



まあ今もこういう調子なわけで。
持っているだけで批難される本というのはそれなりにあるわけですが、持っているだけで殺されそうな気がする本というのもなかなか無いです。ネット上の極論しか見ていないので、平和に本屋に並んでいる光景をテレビで見ると逆にショッキング映像に見えてしまいます。

入手の経緯は単にニュースで発売を知ったのでamazonでポチリ。そのすぐ後に被害者の抗議のニュースを見てキャンセルに一瞬悩むが、どうしても知りたい状況にあるので結局キャンセルはしなかった。その間に2ちゃんねるには加速的にスレが立ち、「妻子持ちだ」とか「こいつ(画像)が現在の少年だ」とかいくつかのデマが湧き始めた。呼応するようにamazonのレビュー欄もデマを交えた抗議文が上がってくる。それだけ多くの人が関心を向けたということだ。

知りたいのは贖罪についてどうやってるのか、どう捉えて向き合ってるのかだった。私は謝罪すら許されなかった状況があった。とはいえあちらにも非があったので喧嘩別れをしたのだが、こちらがした悪い部分を謝りたいと思っても、人を通じて「会いたくないし思い出したくない」という一言で終わってしまった。謝れなかったのを悔やんではいるが、それは会いたくない思い出したくないを無視してまで押し通せる我がままではないと思い、心に閉まっている。時々卵の殻を破るようにくちばしでつつかれて痛いので、ある程度は忘れなければいけないと自衛のために忘れるようにしている。

ところがこの数週間すごく痛い日々を過ごすはめになった。たまにまとめサイトを巡っていていつもは避けていたのだけど、妹との不仲を切っ掛けに生活板系のまとめサイトを閲覧した。そこには被害者がいかようにして加害者を追い詰め正義の鉄槌を下し胸をスッキリさせたかという話が山ほどある。私は喧嘩別れとはいえ自分が加害者の方だと信じている。相手に直接悪いことをしたのは確かなのだ。きっとそういう人はたくさんいて、皆自分がしたことと向き合ったり忘れようと努めたりもうしないと誓ったり色々している。そういう人が勧善懲悪体験談を読んで、それがよくやったよく頑張ったと絶賛されているのを見るとどうなるか。許されないものは許されないんだ、改善されることはないんだと打ちのめされる。私の場合は相手に非があった部分は自分で胸をスッキリさせたので、されたことに対しては何も残っていないがその分自分が謝れなかったことはずっと傷になっている。

とにかくいくつもの体験談を読み、その度に現況において絶望を感じていたのだが、数読むうちにそれは解消された。一定のテンプレートがあるのだ。浮気された夫や妻は必ずゲロを吐き、興信所でクロと結論が出、弁護士と協力し、盛大な家族会議を開いて大上段から刀を振り下ろす。ああそうかそうなんだ、これは読み物なんだと理解しやっと第三者になることができた。もちろん本当に苦しんだ人もいるだろうが、特に好きなジャンルではないのでもう読むのをやめた。妹との関係も私の杞憂にすぎなかったので私の中ではめでたしめでたしだったが、本当にひどい数日間を過ごした。手持ちの頓服がすごい勢いでなくなった。

ただし贖罪についての興味は尽きていない。謝れなかった人としてこの本に何かを求めた。幸いいくつか本文画像が上がっていて、読みやすいことはすぐにわかった。読書から随分離れていたので読みやすさに一安心した。